OUR STORY RED WING の歴史

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レッド・ウィング・ヘリテージ
誕生

レッド・ウィングは、アメリカのクラフトマンシップを守り続けながらレザーシューズと革製品を生み出しています。私たちのブーツとシューズは、1世紀を超えるアーカイブからインスピレーションを得てデザインされ、現代のあらゆる人々のライフスタイルに合わせて作られています。

1970年代からはヨーロッパや日本でもアメリカンシューズとして定着し、1982年の日本での正式な流通開始の成功は、2007年のアメリカ本国でのレッド・ウイング・ヘリテージの発売で最高潮に達しました。

今日、レッド・ウイング・ヘリテージはレッド・ウイング・シューカンパニーの名高い歴史に基づいて、伝統的な構造と時代を超えたデザインを構築し続けています。その結果、私たちの誇りを持って作られた長年履き続けられる高い品質の靴が誕生しました。

RED WING HISTORY レッド・ウィングの歴史をご紹介

会社から紐解くレッド・ウィングの歴史

1905 / RED WING SHOE COMPANY, INC. レッド・ウィング・シューカンパニー

1905年初め、チャールズ・ベックマンは14人の仲間と一軒の小さなレンガ作りの靴工場を建てた。「RED WING SHOE COMPANY」だ。最初の1、2年は苦労を重ねたものの、次第に評価を得たレッド・ウィング社の靴は順調に売上げを伸ばし、4年目にはレンガ造り4階建ての工場を建てるに至った。2008年現在、年間販売数量は300万足を超え、雇用人数は約1,700名、市場は世界の約150ヶ国となっている。創業以来ずっと、レッド・ウィング社の本社はミネソタ州の小さな町レッド・ウィング・シティに拠点を置き、現在でもあえて株式上場をせず、長期的な視点で経営を続けている。米国内にエ場を持ち「メイド・イン・USA」にもこだわり続ける。

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1909 / PLANT ONE プラント・ワン(第一工場)

写真は1909年に撮影されたプラント・ワン(第一工場)。この年、販売足数の増加に伴い、建物が三階建てに増床され、現在の姿になった。この場所で、手作業による裁断やミシンを使った縫製により、職人たちひとりひとりの想いのこもった靴がつくられ、完成したブーツは馬車のワゴンで運ばれていった。また広告にも力を入れたことにより、レッド・ウィング・ブランドの品質へのこだわりが世間へと浸透していく。2008年現在もなお、プラント・ワンは修理部門、商品開発部門、機器整備部門として稼動している。

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1928 / RED WING LOGO レッド・ウィング・ロゴ

レッド・ウィングがロゴに用いている赤い羽根は、レッド・ウィング・シティのシンボルでもあり、市役所など市の施設や地元企業の多くがこの赤い羽根をモチーフとした企業ロゴを使用している。レッド・ウィング社では1928年、「RED WING SHOE」の文字と「赤い羽根」のイラストを組み合わせたロゴを初めてRED WING 採用。その後、会社の正式な商標として登録し、現在に至る。細かなデザインについては、時代やその時々に応じて若干のマイナーチェンジを加え、2007年からは羽根の部分の視認性や再現性を高めるために現在のカタチとなる。

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1940 / RED WING MOBILE SHOE STORE モバイル・シューストア

1940年、レッド・ウィング社はショールームを兼ねたトレーラーに靴を積み込みシボレーで牽引する世界で始めての靴の車両移動販売を始めた。「モバイル・シューストア」の始まりである。この「モバイル・シューストア」は作業現場で働く人々のもとへ行きその場でワークブーツを販売するというスタイル。直接ユーザーの声を聞きながらの販売は、その後の商品開発にも大いに役立った。2008年現在も、毎日約180の「モバイル・シューストア」が全米の作業現場を巡っている。

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1965 / PLANT 2 プラント・ツー(第二工場)

1965年、レッド・ウィング社は拡大する需要に応えるため、レッド・ウィング・シティー内にプラント・ツー(第二工場)を建設した。プラント・ワンに比べて格段に広いこのプラント・ツーは現在、レッド・ウィング社の米国内での生産の中核を支える工場となっている。日本向けの商品の約半分は、この工場で生産されている。

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2005 / CENNTENNIAL 創立100周年

2005年7月30日、レッド・ウィング社は創立100周年を祝う盛大なフェスティバルを開催。この催しの目玉は、牛約80頭分もの革を使用して制作した高さ16フィート(約5m)、長さ20フィート(約6m)、重さ2,300ポンド(約1,040kg)のワークブーツ(品番877)である。USサイズに換算すると「638 1/2D」となるこのブーツは、世界最大のブーツとしてギネスに認定された。さらに、このフェスティバルには約6,000人もの人が参加、人口わずか16,000人のレッド・ウィング・シティーにおいて街をあげての祝典となった。

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人物から紐解くレッド・ウィングの歴史

1856-1912 / CHARLES H. BECKMAN チャールズ・ベックマン

レッド・ウィング社の創始者チャールズ・ベックマンは、19世紀後半に新天地への夢を胸に、ドイツからアメリカへ移住した。17歳だったベックマンはアメリカ内陸部、ミネソタ州のレッド・ウィング・シティで列車を降り、その地の革工場に職を見つけた。そこで働くうちに、ベックマンは自然と革製品である靴に興味を持つことになる。そして1883年、ついに靴屋を始めるに至る。「本当に良い靴を売りたい」という彼の気持ちは町の人々の評判になり、その真撃さは、来店した客の足にぴったりと合わない時は頑なに販売を拒むほどであった。なみなみならぬ靴への情熱で、靴屋は成功したにもかかわらず、ベックマンの不満は高まっていた。本当に良い靴が少ない、という不満だ。彼は次第に、店にあるどの靴よりも良い靴を自分で作るしかないと考えるようになった。1905年、ついに彼は14人の仲間と「レッド・ウィング・シュー・カンパニー」を設立した。これが今日に至るレッド・ウィング社の歴史の始まりである。

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18C / CHIEF RED WING 酋長レッド・ウィング

19世紀、ゴールドラッシュに前後して白人のミネソタへの入植が始まった頃、その広大な土地を治めていたスー族のダコタ部族の大酋長に受け継がれていた名が「レッド・ウィング」である。レッド・ウィング社のあるレッド・ウィング・シティは、この大酋長の名に因んで付けられた。初代レッド・ウィング(酋長)は別名ウォーキング・バッファローと言われた伝説の人物であった。18世紀中ごろに生まれた初代レッド・ウィングは、ダコタ部族の代々の酋長の中でも最も勇敢な戦士と称えられ、戦いでは一度も敗れた事がなかったと言う。

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LATE 19C - EARLY 20C / HAZEN WAKUTE RED WING ヘイゼン・ワクタ・レッド・ウィング

レッド・ウィング社の社名のルーツとも言える先住民(インディアン)の大酋長「レッド・ウィング」の四代目に当るヘイゼン・ワクタ・レッド・ウィングは、レッド・ウィング・シューカンパニー社とも深い係わりを持ち、同社の出荷部門で働いた。彼は製品の広告宣伝にもたびたび登場した。特に1920年代にレッド・ウィングの業績を大きく伸ばしたファーマー用の靴、「ブラウンチーフ・シリーズ」は、耐久性に富むと当時画期的であった「グロコード・ソール」の使用に加え、ヘイゼン・ワクタのキャラクターを用いた広告で大いに愛された。

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1883-1949 / J.R.SWEASY J・R・スウィージー

J・R・スウィージーは1914年、31歳の時にレッド・ウィング社に入社した。その時彼は既に10年間他の靴メーカーでマネージャーとして働いており、靴づくりの業務に精通していた。その後間もなく彼は3代目の社長となり、66歳でその生涯を閉じるまで、全力でレッド・ウィング社をきりもりした。彼の時代には二度の世界大戦、大恐慌と大きな荒波が会社を襲ったが持ち前のバイタリティと頭脳で会社を着実に発展させた。彼は気さくな明るい性格の持ち主でもあり、誰もが気軽に彼に話しかけられたという。また彼は創業者同様、靴の品質には並々ならぬこだわりを持ち続けた。その後、会社は彼の息子、そして孫へと受け継がれ、スウィージー一族は今日でもレッド・ウィング社のオーナーとして、非上場の同族企業の利点を活かした長期的視野に立った経営を続けている。

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1894-1978 / NORMAN ROCKWELL ノーマン・ロックウェル

アメリカの一般市民の日常生活を軽妙なユーモアを込めて描き、アメリカを代表する画家となったノーマン・ロックウェルは、しばしばワークブーツを履いて働くワーカー達をモチーフとして取り上げた。ロックウェルは1960年代初めにレッド・ウィングのために一連のワーカーの鉛筆画を描いたが、中でもメカニックに郵便を届けるポストマンのものは当時のレッド・ウィング社のカタログ、ポスターに広く用いられた。

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製品から紐解くレッド・ウィングの歴史

1905 / "THE FIRST PAIR" 「ザ・ファースト・ブーツ」

チャールズ・ベックマンがレッド・ウィング社を設立し、工場を建設し、機械を購入し、職人を雇い入れた1905年の夏。最初につくった靴のひとつがこの14インチ丈のバックル・ブーツである。当時のレッド・ウィング社の財務部長ハイラム・ハウが息子のために家に持ち帰ったもので、数年間履かれた後、屋根裏部屋に置かれていたものが数十年後に偶然見つかった。

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1912 / "THE BROWN CHIEF" 「プラウンチーフ・シリーズ」

ベックマンの晩年、レッド・ウィング社は順調に業績を伸ばしたが、爆発的な伸びは奇しくも彼の没年から始まった。1912年に発表された「ブラウンチーフ」シリーズは、レッド・ウィングの名を一躍全米に広めた。しっかりとなめされた厚手の革で作ったとびきり頑丈で履きやすいこの靴は、農場やハードな労働にも耐えうる高品質のワークブーツとして高い評価を得た。また、広告宣伝には偉大なる酋長(チーフ)でもあったヘイゼン・ワクタ・レッド・ウィングが登場し人気を博した。

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1920 / "THE OIL KING BOOTS" 「オイルキング・ブーツ」

1920年、レッド・ウィング社は石油プラントで働く男たちのための「オイルキング・ブーツ」を発売した。これはレッド・ウィングが業種別の商品開発に力を注ぐきっかけとなり、さらには世界髄一のワークブーツメーカーとなる最初の一歩であったと言える。この時、ワークブーツにとって非常に大きな市場となる石油産業でのブランドの基盤を築いた。アメリカが石油産業で世界に進出する流れの中で、レッド・ウィングのブーツの評価も世界に知らしめる事ことにつながった。

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1925 / "THE BILLY BOOTS" 「ビリー・ブーツ」

1925年、レッド・ウィング社社長の息子ビル少年のアイディアでナイフポケットを付けた少年向けブーツを開発。ビル少年に因んでビリーブーツと名付けられた。当時アメリカ中西部の子供たちは丈の長いブーツを履くのが普通で、このブーツは多くの類似品が生まれるほどの大ヒット商品となる。時代が変わって子供たちがブーツをはかなくなるまで、まさに20年以上もの間多くの子供たちに愛され続けるロングセラーとなった。

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1938 / "ENGINEER BOOTS" 「エンジニア・ブーツ」

レッド・ウィングを代表するワークブーツのひとつ、エンジニアブーツは1938年に初めてレッド・ウィング社のカタログに登場した。レイルロード・エンジニア(鉄道機関士)のためにつくられた事からその名称が付けられた。機関士の過酷なほどの重労働で要求される機能を満たすべく、耐油性、耐久性にすぐれた樹脂製のコードソール、肉厚/硬質のレザー、11インチのシャフト(筒)にくるぶしをしっかりホールドするストラップ、スティール・トゥ(1934年にレッド・ウィングが採用しその後急速に普及)などを備えた、まさしくヘビー・デューティーな設計となっている。その本質は変わることなく、時代を超えて今日まで受け継がれている。

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1938 / "HUNTING BOOTS" 「ハンティング・ブーツ」

エンジニアブーツ誕生の翌年レッド・ウィング社は、モカシン型の10インチ丈のブーツに初めて柔らかな履き心地のクレープソールを使用した。エンジニア・ブーツなどの重労働用のブーツに比べ軽く、履きやすいこのブーツは「ハンティング・ブーツ」と名づけられた。広大な自然に囲まれ、ハンティングが日常的なミネソタ州の土地柄ならではの名称である。その後レザー、コード、グリスル(柔らかなゴム)といった様々な種類のソール(靴底)素材がこれにバリエーションを加え、今日レッド・ウィングを代表するアイリッシュセッターが生まれる事になる。

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1930s / "LOGGER BOOTS" 「ロガー・ブーツ」

チェーンソーで木を切り倒し、木材にし、それを大掛かりな重機で山からおろす。「ロガー」達の仕事はアメリカの西部開拓時代より今日まで受け継がれている、大切な、しかし極めてハードで危険な仕事である。彼らのためにつくられるロガーブーツは、最も頑丈なワークブーツのひとつであり、高めの丈を持つレースアップ(編み上げ)ブーツである。ロガー・ブーツの底は場合によってはスパイク状の金具でできており、木材の上でのグリップを高めているものもあるが、多くは深めの溝をもつラグソールが使われる。レッド・ウィング社でも古くから数種類のロガー・ブーツをつくり続けている。

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1950 / "THE IRISH SETTER" 「アイリッシュセッター」

1952年に開発された8インチ・ブーツ品番877は、ハンティング・ブーツの進化と戦後の経済復興の中で、レッド・ウィングを世界的なブランドに高める製品となった。セコイアの皮の渋でなめした赤みの強いオロラセット・レザーを使用したこのブーツは、 猟犬を思わせる色合いから「アイリッシュセッター」と名づけられた。アーチサポートにすぐれ、軽いクッション・クレープソールとの組み合わせで発売後すぐに爆発的なヒットとなる。数年後、6インチ丈の品番875が誕生し、877と並んでレッド・ウィングを代表するスタイルとなった。その品質と履きやすさ、美しさから、ハンティングブーツとして生まれたにもかかわらず、様々なワークの現場から休日の普段履きまで幅広い履かれ方をするオールラウンドなブーツに成長した。現在「アイリッシュセッター」はレッド・ ウィング社のハンティング、アウトドア専用ライン(日本へは輸入されていない)のブランド名となっており、当時のブーツの名称とは別のものとなってしまった。 しかし、この「アイリッシュセッター」ブーツは、わずかな細部の変更以外は何も変わることなく、当時そのままのきわめて手のかかる方法でつくり続けられている。

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1953 / "POSTMAN SHOES" 「ポストマン・シューズ」

1953年に発売した黒いガラスレザー(光沢ある顔料をのせたコレクテッドグレイン・レザー)のワークオックスフォード(短靴)品番101は、USポスタルサービスの郵便配達人のためのワークシューズとして誕生する。その後、1960年に一枚革のシンプルで機能的なデザインへとマイナーチェンジ。機能性の高さと見た目の美しさからアメリカを代表するワークシューズとなった。

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1953 / "THE PECOS BOOTS" 「ペコス・ブーツ」

創業後間もなく、ワークブーツ・メーカーとして高く評価されつつあったレッド・ウィング社にとって、大規模な農場、牧場、製油所の多いテキサスは大切な市場であった。レッド・ウィング社はこの地に販売拠点を持ったことから、テキサスでは一般的なウエスタン・ブーツスタイルのワークブーツを数多く製造することとなる。その流れの中で、テキサス州の西部、リオ・グランデの流れのほとりにある町「ペコス」の名を冠したブーツを、1953年ラインナップに加える。その後、他の多くのブーツと並び「ペコス」もまた、今日まで変わることのないロングセラーとなっている。

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1950s / "ROPER BOOTS" 「ローパー・ブーツ」

カウボーイの重要な仕事のひとつにローピングというものがある。家畜(特に子牛)に焼印を押す、去勢を行う、群れから離れたり治療が必要な家畜を確保するなどといった場合に、輪にしたロープを投げて家畜をつかまえる仕事だ。カウボーイの中でも主にこのローピングを行う者をローパーと呼ぶ。馬を駆けながら、または土を踏みしめて、このローピングを行うには高度なロープ捌きの技術と共に、落馬の際に脱ぎ易く、大地をしっかりとグリップできる、短めの丈と低いヒールを持つブーツが必要とされる。そのため、頑丈で飾り気が無く、短い丈と低いヒール、またラウンド気味のつま先を持つカウボーイ・ブーツやペコス・ブーツはローパー・ブーツと呼ばれる。

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2007 / "THE BECKMAN BOOTS" 「ベックマン・ブーツ」

「ベックマン・ブーツ」は創業者チャールズ・ベックマンの時代にレッド・ウィング社がつくっていた靴にインスピレーションを得て開発された商品ラインである。 ベックマンの生きた19世紀中頃から20世紀初頭には、靴は革と糸と釘とわずかばかりの木だけを使って作られていた。その時代のアメリカ中西部(ミッドウエスト)は開拓の最中であり、英国製紳士靴のクラシックなつくりとワークブーツの頑丈さをもった靴がつくられた。そうした時代の靴を再現したベックマン・ブーツはミッドウエスト流のクラシックなドレスシューズでもある。

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製造工程から紐解くレッド・ウィングの歴史

SHOE MAKING / CUTTING カッティング

レッド・ウィングの靴作りの工程は創業当時から変わっていない。靴底や靴の甲部の厚い革は、型を使って切り抜く。その作業は「カッティング」と呼ばれ、靴作りの最初の工程である。創業当時のこのカッティングは相当な力仕事とされていた。この工程の後、革を縫い合わせる「フィッティング」、木型に吊り込み靴の形をつくる「ラスティング」、靴底を縫い付ける「ボトミング」へと続いていく。

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SHOE MAKING / FITTING フィッティング

「フィッティング」は、レッド・ウィングの伝統的な靴作りの行程である。「カッティング」の工程で型抜きされた革のパーツをミシンを使って縫い合わせ、靴の本体(甲部)をつくるのが「フィッティング」の工程である。ここでは、創業当時から約100年以上使い続けているピューリタンミシンも現役として活躍している。この工程の後、木型に吊り込み靴の形をつくる「ラスティング」、靴底を縫い付ける「ボトミング」を経て靴が完成する。

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SHOE MAKING / LASTING ラスティング

靴の甲に中底を付け、靴らしい立体的な形をつくる行程が「ラスティング」である。これは「カッティング」「フィッティング」の次にくる工程。靴の形をした木型(ラスト)に、型抜きした平らな革を縫い合わせた「甲」をのせ、それを木型に合わせて強く引っ張りながら中底に仮止めし、その後甲を中底にミシンで縫いつけることを言う。「甲」としてあがってくる革は蒸気などで柔らかくしてあるとはいえ、平らな、しかもワークブーツ用の厚い革であるため、それを立体的にするには、強くかつ均一な力で引っ張らねばならず、そこには機械が必要となる。創業間もない時期にレッド・ウィング社で使っていたラスティングマシンは、2m以上もの高さの大掛かりなものであった。

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SHOE MAKING / BOTTOMING ボトミング

「ラスティング」により靴の形ができ中底が縫い付けられると、靴底を取り付け靴を完成させる「ボトミング」と呼ばれる最後の行程に入る。1920年代まで、大半の靴は釘またはネジで靴底をとりつけていたが、1930年代になりグッドイヤー製法が主流となり作業は複雑化した。ウェルトの縫い付けや靴底の縫い付けにミシンを使用するようになった。この工程は靴づくりでの最も危険を伴う作業と言われ、怪我をしたり関節炎になる職人も少なくなかった。

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1893 / PURITAN SEWING MACHINE ピューリタン・ミシン

レッド・ウィングのダブルステッチ、トリプルステッチは、創業当時から一貫してピューリタン社製ミシンで縫われている。レッド・ウィング社の「ピューリタン・ミシン」はその多くが1920年代、30年代に製造されたアンティークとも呼べるものであるが、それらは今日でも現役として毎日フルに使われている。レッド・ウィング社では、このミシン選任のメンテナンスチームを設け、自ら部品を作って、修理をし、現在もなおこのミシンを使うことで、ずっと変わらないステッチングを維持している。さらにこのピューリタン・ミシンは、トリプルステッチと同時にラテックスをミシン糸に染み込ませながら縫っていくため、ステッチ穴をラテックスで埋めることになり防水性能を高めている。

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SHOE MAKING / GOODYEAR WELT CONSTRUCTION グッドイヤー・ウェルト製法

レッド・ウィングのワークブーツの多く(日本で現在販売しているワークブーツの全て)は、グッドイヤー・ウェルト製法で製造している。グッドイヤー・ウェルトとは、靴の中底のまわりにとりつけた「リブ」というテープと靴の本体(甲)に、本体の周囲をぐるりとまわっている「ウェルト」という細革とを縫い付けた後、その「ウェルト」にソール(靴底)を縫い付ける製法である。手間がかかる製法ではあるが、耐久性と履き心地にすぐれた、高品質の靴ができる。またソールの張り替えが可能であり、足に馴染んだ靴を長い間履き続ける事ができる。高品質の靴をつくっていればこそ、この製法へのこだわりが生きてくるのである。

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EARLY 20C / CAPPED TOE キャップド・トゥ

「キャップド・トゥ」の靴はつま先近くの部分をまっすぐ横ぎるような革の縫い付け方をした「ストレート・チップ」とよく間違えられるが、このふたつは別のものである。キャップド・トゥは通常のラウンド・トゥの靴のつま先の上からもう1枚革をのせたもので、つま先部分の革が二重になっている。これはスティール・トゥが普及する以前、1930年代頃まで、重力物の落下などからつま先を守るための機能としてワークブーツによく使われていた。

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1934 / STEEL TOE スティール・トゥ

ワークブーツは危険で過酷な労働の現場で履かれる事も多い。そうした作業時の事故による怪我から人を守るためにワークブーツメーカーは様々な機能を開発してきた。「スティール・トゥ」はそうした安全のための靴の設計のひとつで、つま先部分の先芯(トゥキャッブ)が鋼鉄製になっている。重量物を足に落としても指先をつぶさずに済む設計で、レッド・ウィング社は1934年、当時まだ先進技術であったそのスティール・トゥを採用したワークブーツを完成させ発表した。

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SHOE MAKING / MOCCASIN TOE モック(モカシン)・トゥ

「モカシン」とはもともと靴を意味するアメリカ先住民(インディアン)の言葉である。彼らは鹿などの革を使って底部分と甲部分に2枚の革を縫い合わせた靴を作っており、そうした靴の中でも甲部分に「U」字型に切り抜いた革を用いたデザインをモカシン製法(モカシン縫い)と呼ぶようになった。ただし近年は、つま先から甲をモカシン製法で縫われている靴のデザインを、モカシンを略して「モック・トゥ」と呼ぶ事が多い。レッド・ウィング社ではこの「モック・トゥ」のデザインを創業間もない頃から多くつくっており、現在、社を代表するワークブーツの多くにもこの「モック・トゥ」型が用いられている。

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SHOE MAKING / ROUND TOE ラウンド・トゥ

丸いつま先の、最も一般的な靴型がラウンド・トゥである。プレーン・トゥという呼び方もあるが、かさ(容量)のあるワークブーツが専門のレッド・ウィング社では、つま先が一般的な靴よりさらに丸い事もあり、ラウンド・トゥという呼び方をしている。レッド・ウィング社のラウンド・トゥのワークブーツ、特に6インチ丈のレースアップのものは、創業当時の靴とほとんど変わらぬ普遍的な形をしている。

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SHOE MAKING / No.8 LAST ナンバー8ラスト

レッド・ウィングが今日使用しているラスト(木型)の内でも、最も古いもののひとつであるナンバー8ラストは、厚みのあるラウンド・トゥ・ラストである。このラストが何年ごろに制作されたものかは現在ある資料からはわからないが、社の創業時からほぼ同じ型のラストが使われていた事は間違いない。ロングセラー品番でもある8165、8166を初め多くの品番がこのラストを用いている。

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SHOE MAKING / GUSSET TONGUE ガセット・タン

レースアップ(編み上げ)式ブーツは靴紐を締める事で靴を足にしっかりとフィットさせる事ができる反面、両方の羽根(靴の甲の中でも紐を通す穴が開けてある部分)の隙間が開いており、ここから水や砂利等の異物が入るという難点がある。これを防ぐため、羽根の隙間の下にある舌状の形の革(タン)を、靴紐を通す穴のつけ根部分に縫い付け、履き口廻りを袋状の構造にしたものがガセット・タンである。主ににアウトドア、それも過酷な状況下で履かれることが想定されるワーク・ブーツならではのつくりである。レッド・ウィング社では創業当時から現在に至るまで、ガセット・タンを採用し水や砂利が靴の中に浸入する事の少ない構造の靴をつくっている。

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SHOE MAKING / CORK FILLER コルク・フィラー

グッドイヤー・ウェルト製法で靴をつくる際、中底と靴底とのすきまに詰めるクッション材ともいうべきものが「フィラー」である。このフィラーもまた、靴の履き心地に大きな影響を与える。柔らかなフィラーの最初の履き心地は柔らかいが、ともすると長期間の使用でクッション性を失うことがある。レッド・ウィング社では、主だったワークブーツには、細かく砕いたコルク素材のフィラーを使用している。このコルクを詰めたフィラーは、初めのうちは足裏に硬さを感じるが、長時間履いていても疲れにくく、また履き込むうちに自分の足の形に馴染んでくる。長い年月履き続けられる事を想定しているレッド・ウィングならではの贅沢なこだわりである。

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SHOE MAKING / OAK LEATHER INSOLE オークレザー・インソール

レッド・ウィングの主力製品のインソール(中底=足の裏に接する靴の内側の底部)はオークレザー・インソールと呼ばれる約4.2mmの部厚い革でできている。このオークレザー・インソールは履き始めは硬く感じるが、履きこむにつれ底に詰められているコルク片と共に足の形に併せて変形し、履く人に最も合う履き心地となる。また、この革のインソールの表面には細かな穴が沢山あり、汗を吸収し、発散する効果がある。かつては表面に「スウェットブルーフ・インソール」という刻印がなされ、この効果をうたっていた。オークレザーという名前は、元々オークなどの木材のおがくずの渋で革がなめされていた事から付けられた。

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レザーから紐解くレッド・ウィングの歴史

1987 / RED WING TANNERY レッド・ウィング・タンナリー

過酷な条件下で使用されるワークブーツに求められる第一の鍵は高品質で頑丈な革。レッド・ウィング社の特長のひとつはその革のクオリティーと味わいである。創業者、チャールズ・ベックマンは靴屋を始める前にタンナリー(革のなめし工場)で働いていた事もあり、革には特別なこだわりを持っていた。1987年、かつてベックマンが働いていたタンナリーはレッド・ウィング社の子会社となり、これ以降レッド・ウィングは、世界でも稀な良い靴をつくるための革を自らつくるメーカーとなった。正式名称をSBフット社というその革なめし工場(会社)は、社内では「レッド・ウィング・タンナリー」と呼ばれ、レッド・ウィングとともに100年の歴史を超え発展してきた。「フレッシュ・ハイド」と呼ばれる、塩漬けしていない原皮のみを使用するなど品質にこだわり、過酷な使用を想定した耐久性抜群の革を生産している。この「レッド・ウィング・タンナリー」の革はレッド・ウィング社の靴に使われる傍ら、軍隊や他の一流靴メーカー社への供給も行っている。

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TANNERY / STEER HIDE ステア・ハイド

牛革の中でもカーフなどの子牛の革を除いた成牛の革には「カウ・ハイド」、「ステア・ハイド」、「ブル・ハイド」の3種類がある。「カウ・ハイド」は牝牛(殆どが乳牛)の革である。成牛の革の中では最も柔らかいが、高齢または病気で乳牛としての用を足さなくなった牛からとられるため、品質に問題があるものも多い。「ステア・ハイド」は去勢された牡牛、つまり肉牛の革である。カウ・ハイドより厚くしなやかである。特に肉にするための牛は、良質の肉にするため生物的にピークの時期に屠殺され、肉と革にされるため良質の革になる。「ブル・ハイド」は牡牛、それも種付け牛の革である。硬い組織を持ち、他にはないぶ厚い革がとれるが、硬すぎたり表面に傷が多いなどの難点があり靴には向いていない。レッド・ウィング・タンナリーでは主としてステア・ハイドを使用している。

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TANNERY / FULL GRAIN LEATHER フルグレイン・レザー

フルグレイン・レザーとは革の銀面(グレイン・サイド=革になる前は動物の皮膚であった部分)をそのまま残してなめした革を言う。革の表面に人工的な処理が施されないフルグレイン・レザーは革そのものがもつ自然な表面感が味わい深い。ただその分、自然なスジやシワがあり、また動物が生きていた時にできた傷が残っている事も多く、ドレスシューズなど表面が均一で傷一つないことがよしとされる類の靴には適さない。しかし、銀面(グレイン・サイド)層は繊維が最も緻密に詰まっている箇所であり、耐久性と通気性をも併せ持つ革となるため、表面に傷やムラのない事より耐久性を重視し、革のもつ傷やシワさえも味わいとして楽しめるワークブーツには最適な革である。レッド・ウィングではオロ・イジナルやオロラセット・レザーが代表的なフルグレイン・レザーである。

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TANNERY / CORRECTED GRAIN LEATHER コレクテッドグレイン・レザー

革の銀面(グレイン・サイド=革になる前は動物の皮膚であった部分)を軽く擦って表面をならした後、銀面の上に特殊な塗膜が乗せられた革をコレクテッドグレイン・レザーと呼ぶ。日本でいうガラス・レザーは、こうしたコレクテッドグレインの中でも、表面を特に細かくなめらかにならし、さらに光沢のある塗膜で覆ったものをさす。レッド・ウィングでは様々な種類の作業やワークに合わせて、ブーツの革の加工を行ってきた。そうした中でコレクテッドグレイン・レザーも度々使われた。1920年代にファーマーに向けて開発されたブラウンチーフ・レザーはレッド・ウィングの初期を代表するコレクテッドグレイン・レザーであり、今日もエンジニア・ブーツなどに使われているブラッククローム・レザーは、レッド・ウィングを代表するコレクテッドグレイン・レザーである。

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TANNERY / ROUGHOUT LEATHER ラフアウト・レザー

革の裏表を逆にして、滑らかな面(銀面またはグレイン・サイド)を靴の内側に、毛羽立った面(繊維面またはフレッシュ・サイド)を外側にして使用された革がラフアウト・レザーである。銀面を表にした通常の靴は砂利や岩が多いアウトドア環境で使用すると、繊維が最も敵密に詰まっている銀面が傷つき、耐水性などの機能が損なわれる恐れがある。それに比べ「ラフアウト」は、こうした場合でも革の銀面を傷つけない革の使い方といえる。銀面がついたままの革を使用することが前提となるため外見はスエードと同じであるが、一枚の革を薄く二枚にスライスして銀面を持たない方を使用する事の多いスエードとはこの面で異なる。「ラフアウト」は通常のレザーにも優るとも劣らない機能を持たせた、贅沢な革の使い方。レッド・ウィングでは1950年代後半からラフアウト・レザーを使用している。

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TANNERY / ORO RUSSET LEATHER オロラセット・レザー

1952年に開発されたモック・トゥの8インチ・ブーツ、靴底の平らなウェッジ型のクッションクレープ・ソールを組み合わせた「アイリッシュセッター」が発売され、その後の大ヒットを経て今日のレッド・ウィングがある。このアイリッシュセッターの成功に不可欠であったのが、オロラセット・レザーである。この革は1950年、カリフォルニアのタンナー、レオ・メッテン社が開発した。セコイアの皮の渋でなめした赤みの強い深い艶のあるブラウンの革は、「金」を意味するスペイン語「オロ」と赤茶色を意味する英語「ラセット」を組み合わせてオロラセットと名付けられた。その後、この革の製法はレッド・ウィング社の自社タンナー、レッド・ウィング・タンナリーに受け継がれ、約60年の時を経た今日でもレッド・ウィングを最もよく代表する革となっている。

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TANNERY / WOODEN MILL 木製ミル

レッド・ウィング・タンナリーでは再なめし(原皮を一度なめして革にした後、更に革製品にするために行う二回目のなめし工程。この時に染色やオイルの浸透なども同時に行う)の工程に古い木製のミルを使用している。ミルとは大きなドラム状の機械で、これに革となめし剤、染料、オイルなどを入れ、しばらく回転させ、革をなめすのである。タンナリーでは、かつてこの木製のミルを廃止し、近代的な金属製のものに変えた事もあったが、出来上がった革の風合いに満足できず、松の木の一種でつくられたこの古い木製のミルに戻した。レッド・ウィングの革は全てこの木製ミルでなめされ、仕上げられている。

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ソールから紐解くレッド・ウィングの歴史

1930 / GRO CORD SOLE グロコード・ソール

レッド・ウィング社の創業当時、殆ど全ての靴の底は革でつくられていた。開拓時代のアメリカ中西部で、農業や建築の作業時にこの革の靴底は、すぐに磨り減り、水に弱く、滑りやすい不便なものであった。そこで、より作業に適した靴底の材料を探し求め、1920年代後半に当時画期的であった樹脂(ラバー)性の靴底を使い始めた。オハイオ州の部材メーカーが開発したグロコード・ソールである。革に比べて抜群の耐久性を誇り、グリップ製にも優れたこのソールはレッド・ウィングのワークブーツとしての性能とコストパフォーマンスを飛躍的に高めた。ワークブーツの第一人者としてのレッド・ウィング社の歴史はこうして始まった。

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MID 20C / CORD SOLE コードソール

1920年代から30年代にレッド・ウィング社が、耐久性が高くコストパフォーマンスの良いワークブーツとしての評価を得るのに大きな役割を果たしたグロコード・ソールは、その後自社開発の(レッド・ウィング)コードソールとなり、今日に受け継がれている。当時のグロコード・ソールの底面のパターンを踏襲し、オイルや薬品に対する耐久性を高めたこの靴底は、本来鉄道機関士用に作られたが、その後は重機を扱う工場などでのワークブーツとなったエンジニア・ブーツに使用されている。コードソールの名の通り、今日でもコード(紐)状の繊維を混ぜ込みグリップ性を高めた樹脂でつくられている。

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MID 20C / TRACTION TRED SOLE トラクショントレッド・ソール

今日、レッド・ウィングの最もレッド・ウィングらしい特徴とされているのが、柔らかくクッション性にすぐれた肉厚の白いソール「トラクショントレッド・ソール」である。1952年、「アイリッシュセッター」に採用されたクッションクレープ・ソールの機能性をそのままに改良を加え誕生した靴底である。アーチサポートに勝れ、軽く、履き易いクッションクレープ・ソールの特徴を引き継いだ「トラクショントレッド・ソール」は、開発当初は二層構造であったが間もなく耐久性を高めるべく一体形成のものになり、以来、殆ど変更を加えることなく現在に至っている。トラクショントレッド・ソールは履き易さに加えて、建築現場、特に高所で作業をするワーカー達に高い支持を受けた。ひっかかりのない平らな靴底が、彼らを高所でかかとの出っ張りを足場に引っ掛けて転倒する不安から開放してくれたからである。本来ハンティングなどのアウトドア用として開発された8インチ、また6インチのモック・トゥのワークブーツは、こうしてトラクショントレッド・ソールと共に急速に普及し、アメリカを代表するワークブーツとなった。

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MID 20C / CORK SOLE コルクソール

コルクソールは、20世紀中頃から80年代にかけてアメリカのワークブーツの靴底として最も一般的なもののひとつであった。樹脂素材にコルク片を混ぜてグリップ製を高めたものであり、ソールの側面から薄茶色のつぶつぶが見えるのが特徴であった。その後、素材配合は時代とともに進化し、樹脂そのもののグリップが高まるにつれ、コルク片は主に外観を保つための、コルクと同色の樹脂素材のものに変わった。1920年代後半から樹脂(ラバー)性の靴底を使い始め、耐久性に富むワークブーツをつくっていたレッド・ウィング社もかつてはこのソールを多用した。その後、ウレタンやEVAを初めとする新たな素材に次第にとって変わられたコルクソールは、作業現場のワークブーツからはほぼ姿を消してしまったが、レッド・ウィング社はいくつかの品番に、クラシックな趣きの重量感あるコルクソールを使い続けている。

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1967 / SUPERSOLE スーパーソール

1950年代後半、グッドイヤー・ウェルト製法に比べて格段に簡単な工程のセメント製法(靴底を甲革に接着する製法)が普及し始め、ワークブーツ市場でもこの製法による廉価な靴が出回り始めた。こうした傾向に対応すべくレッド・ウィング社でも、新製法のテストが始まり、製品開発にも応用された。しかし、耐久性に限界があるセメント製法が、品質を重視するレッド・ウィング社の靴作りの中で主流になる事はなかった。様々なテストを繰り返した結果、レッド・ウィング社は1967年、セメント製法のコスト効率と、従来のグッドイヤー・ウェルト製法の耐久性を両立させた靴を開発した。耐摩耗性が抜群のウレタン素材を使用し、靴底を成型する工程と、ウェルトを縫い付けた靴の甲革に靴底を取り付ける工程とを同時に行う製法である。この新しい製法で取り付けられた靴底はスーパーソールと呼ばれ、次第にワーカー達が作業に使用する作業靴市場での主流となっていった。

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場所から紐解くレッド・ウィングの歴史

GEOGRAPHY / UPPER MID-WEST アメリカ中西部(北域)

開拓時代以前、アメリカでは、ミシシッピ川を超えると「西部」と呼ばれ不毛の土地と考えられていた。レッド・ウィングの故郷ミネソタのあるアメリカ中西部の北域も19世紀になるまで殆どの東部の白人にとっては、地の果てであった。しかし、その地は実は緑と水に恵まれ、数多くの野生動物が生息する豊かな土地でもあった。その時代、この辺りに頻繁にやって来た白人は毛皮目的のハンター達(トラッパー)。彼らは、五大湖とそれに網の目のように繋がる河川、パウンダリー・ウォーターをカヌーで旅して野生動物の豊富なこのあたりまで足を伸ばした。彼らは水先案内人となってもらうためアメリカ先住民(インディアン)を重用し、自然の中で生きる彼らの知恵を吸収した。モカシン型の靴もそのなかのひとつである。アメリカを代表する靴の型であり、レッド・ウィングのひとつの典型的スタイルでもあるモカシンは、遙か昔よりこの地で暮らしたアメリカン・インディアン達の文化を受け継ぐものだとも言えよう。

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1858 / MINNESOTA ミネソタ

ミネソタ州は五大湖の西の端、アメリカ中西部の中でも最も北に位置する。ミネソタには10,000を超える湖がある。「ミネソタ」とは「空を映した水」を意味するアメリカ先住民(インディアン)の言葉である事からわかるように、水に恵まれた土地である。19世紀後半には東海岸から鉄道でシカゴを経由して多くの開拓者たちがこの地にやってきた。どこまでも広がる平野に囲まれたこの地は農業にもうってつけで、ミシシッピ川は農産物の輸送路にもなったため、農牧業に加え、鉄道、船舶、道路施設、製粉、などの産業が急速に発展した。「大草原の小さな家」はそうしたミネソタの初期の開拓者(ホームステッダー)の話である。開拓に伴う様々な作業に、頑丈な靴は欠かせない。この地で始まったレッド・ウィングのような靴のメーカーにとって、高品質のワークブーツを作るのは必然であった。

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1857 / CITY OF RED WING, MN レッド ・ウィング・シティ

レッド・ウィングとはアメリカ中西部ミネソタ州の南東部にある町(市)の名前である。この地に白人の定住が始まったのは1850年代初頭であり1857年には「市」となった。町(市)の名前は、白人の定住以前にこの地を収めていたスー族のダコタ部族の大酋長に受け継がれていた名レッド・ウィングに因んで付けられた。レッド・ウィング社の社名はこの町(市)の名から来たものである。現在のレッド・ウィング市は人口約1,600名、ミシシッピ川のほとりにレンガづくりの街並みが続く、古き良きアメリカの面影あふれる土地である。

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1883 / PECOS, TEXAS テキサス州ペコス

ペコスの町は荒くれ者の多いテキサスでもひときわタフガイの集まる場所として知られている。初めてロデオが開催されたのもこのペコスである。その名にふさわしい頑強なペコスブーツは牧場、農場、製油所を始め、テキサスの男達に強く支持された。その名があまりに広まったため、今日、機能本意のワーク系ウエスターン・ブーツの総称の様に使われているが、「ペコス」はレッド・ウィング社の商品のみが冠する事ができる同社の商標である。

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19C- / IRON RANGE アイアン・レンジ

レッド・ウィングの故郷、ミネソタ州は北米最大の鉄鉱石の産地である。州北部のスペリオール湖付近は特に鉱脈の豊かな地域である事から「アイアン・レンジ」と呼ばれている。ここには全米でも最大のメサビ鉱山があり19世紀からさかんに採掘が行われた。採掘された鉄鉱石は製鉄の中心地であるシカゴなどに輸送され、アメリカの発展の礎のひとつとなった。

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労働者から紐解くレッド・ウィングの歴史

WORK HERITAGE / FARMER ファーマー

ファーマー(農夫)とワークブーツとは、今日の感覚からはなかなか結びつかない。しかし、レッド・ウィング社の創業から発展期(1910~20年代)にかけて、ファーマーは最も重要な顧客であった。レッド・ウィング社のあるミネソタ州はアメリカでも有数の農業州であり、グレインベルトと呼ばれる中西部一帯に広がる穀類の産地の一部である。殆ど全ての靴が、甲から底まで革で作られていた当時、農作業はあっという間に靴を傷める事になった。誰よりも丈夫な靴を必要としていたファーマー達に向けて堅牢な靴を作る事からレッド・ウィングのワークブーツの歴史が始まったとも言える。

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WORK HERITAGE / ROOFER ルーファー

ルーファーとは屋根(ルーフ)を付ける職人を意味する英語で、広い意味では、家屋の梁や屋根または高所の建築現場で作業する大工や作業員(ワーカー)を指す。日本でいう「鳶職」と近い。ルーファーたちは勿論、高所で冷静にかつ確実に、建築作業をすすめなければならず、胆力の求められる職業だ。レッド・ウィングのブーツの中でも特に「トラクショントレッド・ソール」はルーファー達に支持されてきた。履き心地の良さ、軽さ、耐久性もさることながら、つま先からかかとまでが平らで凹凸のないこの靴底は、屋根の上で梁などに引っかかる事がなく、安全に作業が進められるからである。

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WORK HERITAGE / LUMBERJACK ランパージャック

開拓によりつくられた国アメリカでは、木こりは建国の象徴的職業とされている。レッド・ウィング社の故郷、ミネソタ州で生まれた伝説の木こりの神様「ポール・バニヤン」などは、これを反映して屈強なアメリカ男のイメージをふくらませたものだ。広い意味での木こりの中でもランバージャックは、チェーンソーの時代の前、斧を振って大木を倒すクラシックな姿と結びついている。

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WORK HERITAGE / RANCHER ランチャー

ランチとは牧場を意味する英語であり、ランチャーとはそこで働く人を総称する言葉だ。カウボーイも大きく括るとランチャーのひとつである。アメリカの牧場の大多数は広大な土地で牛(肉牛)を放牧しているが、その他の家畜を専門にする牧場も少なくはない。羊を肥育するシーブランチなどもそれにあたる。シーブランチは今日では少なくなり、オーストラリアやニュージーランドに市場を奪われた感があるが、20世紀中頃、1940年台には現在の10倍の数の羊が、テキサスを中心に飼われていたという。スペインにゆかりの深いアメリカ南部の肉牛牧場でスパニッシュ・ライディング・ブーツに端を発するウエスタン・ブーツが好んで履かれているのに対し、イギリスで盛んであった羊の飼育を行うシーブランチで好んで履かれているワークブーツが、英国的なチェルシーブーツであるのも興味深い。靴の両側のくるぶし部分にゴムを配し、足首を締めるタイプのチェルシーブーツは、羊の毛を刈るときに靴の中に毛くずが入るのを防ぐ機能もあるとされる。

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WORK HERITAGE / COWBOY カウボーイ

カウボーイはいうまでもなく牧場、特に牛を放牧した広大な土地で、馬に乗ってその牛の群れを追い、集め、肥育する仕事に従事する男達を指す。馬に乗って仕事をする彼らはあぶみに足を入れ、踏ん張り易いように、尖ったつま先と高めのヒールを持ち、怪我やガラガラ蛇の攻撃から足首を守るための高めの丈を持つブーツを好んで履く。広大な牧場はスペインの植民地であった南部アメリカに多い事もあり、こうした靴は元々スペインの乗馬用ブーツにその端を発しているとも言われる。カウボーイのブーツと言えば、派手なステッチワークに尖ったつま先のウエスタンブーツをイメージするが、彼らが実際の仕事の現場で履く靴はシンプルで実用的なものが多い。レッド・ウィングのペコスブーツもそうした実用的なワークブーツのひとつとして、今もなおカウボーイ達に愛用されている。

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WORK HERITAGE / LINEMAN ラインマン

ラインマンとは電線工の事。高所に上り電線を架設したり補修する危険な仕事に従事する男達の事である。アメリカの西部開拓が始まった約150年前の電報用架線に始まり20世紀の半ばまで、数多くのラインマン達がアメリカの国土拡大と発展に不可欠なインフラを築く作業に従事した。高所で高圧電線を扱うラインマンの仕事は危険極まりなかった。20世紀初頭の記録ではラインマンの3人に1人は仕事中の事故で命を落としたとされている。まさに命知らずの男達であった。

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WORK HERITAGE / RAILROAD ENGINEER レイルロード・エンジニア

19世紀後半から20世紀初頭、国中に鉄道網が敷かれ、これがアメリカの発展を加速した。この時代の鉄道はもちろん巨大な蒸気機関車である。高速で疾走する数千トンの鉄の塊を操り、原野や山脈を貫き、乗客や積荷の安全を守る過酷な労働である。当時、最先端のメカニックとされたレイルロード・エンジニアは男らしさの象徴でもあった。ケーシー・ジョーンズの様なヒーローの存在がそれを物語っている。

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WORK HERITAGE / LOGGER ロガー

斧を手に木を切り倒すイメージで「きこり」を意味する英語、ランバージャックが用いられる一方、チェーンソーで木を切り倒し、木材にし、それをスキッダーと呼ばれる重機で山からおろすシーンを想起させる「ロガー」はもうひとつのきこりを意味する英語である。森林の伐採や木材の供給はアメリカの西部開拓に不可欠であり、この時代には多くのロガー達が汗を流して重労働にいそしんだ。彼らのために開発されたロガーブーツはワークブーツのひとつの代表である。

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